NIKKEI THE PITCH挑戦者と支援者をつなぐ
イノベーション推進プロジェクト

11人のスクール生 その後の物語(下)

NIKKEI THE PITCH SOCIAL BUSINESS SCHOOL最終リポート

11人のスクール生 その後の物語(下)

NIKKEI THE PITCHが取り組む、若手のソーシャル起業家育成プログラム「NIKKEI THE PITCH SOCIAL BUSINESS SCHOOL」。2026年3月7日に都内で開かれた最終プレゼンテーションの舞台には、「社会をよくしたい」という強い思いでビジネスアイデアを磨き続けてきた11人の挑戦者が集まった。スペシャルアドバイザーを務めたレオス・キャピタルワークスの藤野英人代表取締役社長(当時)らから厳しくも温かな助言を受け取った参加者たちは、それぞれの現場で次なる一歩を踏み出している。参加者のその後の挑戦を追った。

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廃棄ホタテの貝殻を地域の宝に 「青森発」地方創生
牧方咲良氏

「藤野さんからアドバイスされたように、まずは青森で成功モデルをつくって、雪だるま方式で全国に広げていきたい。故郷である青森の地方創生に貢献したいというのが、私の起業家としての原点にある思いだ。揺らぐことなく取り組んでいきたい」。弘前大学農学生命科学部の学生であり、養殖ホタテの廃棄貝殻を地域資源と捉え、新たな価値を生み出すビジネスを手掛けるMintAnd(ミントアンド)の牧方咲良氏はこう強調する。

牧方氏は小学生の頃から飢餓問題に関心を持ち、弘前大学では土壌微生物の研究室に所属した。肥料について調べる中で、青森県内で年間約5万トンに上る養殖ホタテの貝殻が廃棄されていることを知り、「地元の資源で何かできないか」と考え起業を決意。2025年秋に大学を休学し、東京の漁網リサイクルスタートアップや再生可能エネルギー企業でのインターンシップを経験した。

スクールの沖縄合宿で藤野氏から「貝殻をビジネスにするなら、まずは青森で多くの仲間を作って協力してもらい、事業化する必要がある。そこで成功するなら、他の地域でも雪だるまのように広げていけるし、事業として大きくなる」と助言をもらった。これを受け、牧方氏はホタテの貝殻を素材に用いた歯ブラシなどを開発し、本格的な販売を開始している。売上の一部は、地域の子どもたちへ環境体験学習の機会を届ける費用として還元される。企業がこの製品を採用することで、地域への社会投資につながる仕組みだ。

NTPの交流会でも人脈を広げる牧方氏(左)
NTPの交流会でも人脈を広げる牧方氏(左)

牧方氏の青森での活動を後押しする動きもある。青森県が8月初旬の「ねぶた祭」に合わせて開催する、スタートアップ支援の大型プロジェクトのメンバーに選出されたのだ。牧方氏は地元での人脈を生かし、企画アシスタントディレクターとして運営に携わる。「青森から新たな価値が生まれ、挑戦する人の輪が広がり、地域に循環していく流れをつくっていきたい」と意気込む。

大学卒業のため今年秋には復学する予定だ。将来的には「青森出身の起業家」としてのキャリアを歩む覚悟は固まっている。牧方氏はプログラムの総合プロデューサー兼メンターを務める、慶應義塾大学特任教授の横田浩一氏のゼミ生としても活動している。「横田先生から教わったことで、自らのキャリアの築き方を常に深く考えられるようになった」と話す。

これまで多くのアクセラレーションプログラムに参加してきた牧方氏だが、NIKKEI THE PITCH SOCIAL BUSINESS SCHOOLには他とは違う良さがあるという。「スタートアップの知識にとどまらず、人との向き合い方や、価値を生み出す本質を深く考える機会をくれた。何でも相談できるかけがえのない仲間ができたことも大きな財産」と語った。

「ぶれない軸」と「柔軟な思考」 元県庁職員が挑む伝統工芸の新展開
副島希帆氏

副島氏(右)は、アナ・スタシア(左)氏のサポートを受けて有田焼の良さを世界に発信していく
副島氏(右)は、アナ・スタシア(左)氏のサポートを受けて有田焼の良さを世界に発信していく

「起業家として必要な思考の柔軟性を学んだ」。有田焼など日本の伝統工芸を広げるJAFANを25年8月に佐賀市に設立した副島希帆氏はこう語った。社名には「日本のファンを増やすことで、争いの少ない世界にする」という意味を込めている。

副島氏は福岡県庁で約6年間の社会人経験を持つ。その安定したキャリアから一転、ソーシャルビジネスに挑むエネルギッシュな姿はスクールの同期生たちにも大きな刺激を与えており、多くの仲間が「最も刺激を受けた同期」として信頼を寄せている。副島氏自身も「スクールの仲間たちには資金調達を含めて何でも相談でき、助け合える。半年弱という短い期間だったが、非常に濃い関係を築けたことが大きな財産」と振り返る。

副島氏(中央)はレオスの藤野氏(左)から柔軟な思考の大切さを学んだ
副島氏(中央)はレオスの藤野氏(左)から柔軟な思考の大切さを学んだ

北海道での最初の合宿から沖縄合宿に至るまで、いくつかの見直しを経ても決して揺るがなかった軸がある。「和の文化による丁寧な時間や心のゆとりを、国内外に広めていきたい」という熱い思いだ。

当初は、故郷である佐賀県が誇る有田焼の窯元の厳しい経営状況を踏まえ、磁器のレンタルやカフェと連携した販売イベントなどの事業を模索していた。大きな転機となったのは、沖縄合宿での2日間に及ぶプレゼンテーションだった。初日、副島氏は有田焼の美しい骨壺をビジネスの柱に据えたプランを提示。翌日にはさらに視野を広げ、終活ノートの作成や葬儀といった「生前からの伴走」までカバーする事業領域の拡大案へと発展させた。

このプレゼンに対し、藤野氏はキャンプ用品大手・スノーピークの事例を挙げて講評した。同社の大きな収益源が、テントを固定する小さな金具「ペグ」である実績を指摘し、「あなたたちのビジネスにおける『ペグ』にあたるものは何かを徹底的に考えるべきだ」と投げかけた。核心となる強みや収益の源泉をどこに置くかという、本質的な問いだった。

副島氏はこれを踏まえ、最終プレゼン後もビジネスプランを柔軟に見直してきた。佐賀市内の「Cafe du panier」など人気カフェにおいて有田焼で若者に人気の器も持ち帰れるスイーツ企画を5月末から実施し、好評を博した。現在は副島氏が好きな漫画のキャラクターなどを使った有田焼の骨壺の商品化などに取り組んでいる。

副島氏は「今後、数多くの有田焼の窯元さんと本音で話せる関係という強みを生かし、新しい文化ビジネスに挑戦していきたい」と語った。今後は、日本の伝統文化に深く精通し、4カ国語を操る福岡県庁出身のアナ・スタシア氏がサポートに加わる。グローバル展開を視野に入れたさらなる事業拡大を目指す。

「良きキャリア選択は、自ら行動することから」 踏み出した教育支援への一歩
内野そら氏

内野そら氏は東大大学院に進学し、教育格差の問題に取り組んでいる
内野そら氏は東大大学院に進学し、教育格差の問題に取り組んでいる

「北海道合宿で参加した『私の履歴書』プログラムが良かった。これから自分のキャリアを考えていく上で本当に役立っている」。今年4月に東京大学大学院の教育学研究科に進学した内野そら氏はこう語る。「私の履歴書」プログラムとは、横田浩一氏が若い起業家を育成するために考案した、自己開示を訓練する名物プログラムだ。内野氏は「周囲が自分をどう見ているのか率直に聞くことは良い経験になった。自らの今後の活動にも生かせる」と話した。

3月の最終プレゼンの発表テーマは地方の高校生のキャリア選択支援についてだった。当時は早稲田大学社会科学部3年生だったが、前倒しで卒業した。現在の生活について「東大大学院では日本の教育格差の問題について学術的に学んでいる。研究室では問題意識を持つ仲間とも出会えて良かった」と充実感をにじませる。

自らがテーマとする社会課題に真摯に向き合うストイックな内野氏。「私の履歴書」プログラムのワークでも「自分がもっと頑張れるはずだと、つい(自分を追い込んで)考えてしまう」と打ち明けていた。その際、「今、自分が活動できていることは当たり前ではない。そのままの自分を認める『足るを知る』というマインドも大切なのでは」と言葉をかけられ、気持ちが楽になったという。そのアドバイスをくれたのが、同じスクール生の副島希帆氏だった。

内野氏は、かつて自らの進路選択において、本当に関心のあった教育関係の学部に入学しなかったことを後悔していた経験がある。この原体験から、情報格差のある地方の高校生がより良い進路選択をできるような活動に取り組んできた。沖縄合宿で横田氏から「まずは実際に自ら行動を」とのアドバイスを受け、4月には様々なキャリアを持つ大学生が高校生に向けてキャリアを語るオンラインイベントを開催した。「高校生がとても喜んでくれた。高校生と交流することで大学生の側も学び、成長できるということがよく分かった」という。

今後は、東大大学院での学術的な研究と高校生のキャリア支援というフィールドワークの両輪で進めていく。大学院1年目から並行して就職活動も始まるが、「人生のキャリアにおいては、後悔しない選択をすることだけでなく、たとえやり直すことになってもスキルを学び直せることが重要だと考えている。人材関係の企業なども視野に入れながら、自分自身の仕事選びも深く考えていきたい」と前を見据えた。

「自分が動けば、世界を変えられる」 実家の寺院再生から世界を狙う
髙橋英眞氏

「自分が動けば、世界を変えられる」 実家の寺院再生から世界を狙う 髙橋英眞氏

「藤野さんらと出会い、シリアルアントレプレナー(連続起業家)になりたいと思った」。神戸大学の農学部4年生の髙橋英眞氏は、河内長野市にある実家の盛松寺(せいしょうじ)でこう語った。

髙橋氏は最終プレゼンで、改修した庫裡(くり・お寺の台所や住職の生活スペース)でのお香づくりなどの体験イベントを紹介し、このノウハウを横展開するビジネスプランを説明した。現在は、藤野氏のアドバイスを踏まえて体験イベントの単価アップを進めているほか、多額の投資が必要な宿坊建設の準備にも着手している。

住職である父・成明氏はチベット仏教の研究家で高野山大学の非常勤講師を務め、母・美和氏は空間デザイナーとして、庫裡を設計した。髙橋氏は家族とともに、この事業を展開するための新会社「TERA TOURISM(テラ・ツーリズム)」をこのほど立ち上げたばかりだ。

しかし、これは同氏の起業家人生における最初の一歩にすぎない。将来的にはディープテック分野での起業家として活躍する未来を描いている。大阪の名門・清風中学校・高等学校時代の生物部でシロアリの研究に没頭した。神戸大学進学後は、シロアリの腸内活動から水素を生み出す研究テーマでNEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)からの支援を獲得した。さらに、経済産業省の起業家海外派遣プログラム「J-StarX」にも選抜されボストンへ赴くなど、若くして学生起業家として多くの経験を積んできた。

髙橋氏は「世界で認められるには学術分野での実績が必要だとボストンで感じた。まずは、修士号を取得したい。実家の寺院を継ぎつつ、ディープテックのシーズを見極める眼力と、ビジネスを成功させる経営スキルを養っていきたい。そう思えたのは、スクールで出会ったシリアルアントレプレナーの安田光希氏の存在が大きい」と語る。安田氏は、建設業界などへの特化型DX推進ビジネスをはじめ、これまでにいくつもの起業を成功させてきた実績を持つ。合宿後には盛松寺を実際に訪れ、髙橋氏へ実践的なアドバイスを送るなど、その挑戦を深く後押ししている。

髙橋氏(左)はレオスの藤野氏(右)から多くを学び、シリアルアントレプレナーを目指している
髙橋氏(左)はレオスの藤野氏(右)から多くを学び、シリアルアントレプレナーを目指している

髙橋氏の起業家としての原点は「もったいないをなくしたい」という思いだ。実家の盛松寺は弘法大師ゆかりの名刹(めいさつ)ながら、改修前までは廃れていた。大学の研究室にしても、研究内容や施設が素晴らしくともその潜在力を生かしきれず、ビジネスとしての成果につながっていない現状がある。「スクールで学んだことは自分が動けば、世界が変わるということだ。世界のもったいないを一つずつなくしていきたい」と意気込む。

当事者として泥臭く関わる 兄弟で目指す地元のコミュニティ再生
浦井祐次郎氏

浦井祐次郎氏は兄の亮太郎氏とともに高野山山麓の故郷で地域再生に取り組む
浦井祐次郎氏は兄の亮太郎氏とともに高野山山麓の故郷で地域再生に取り組む

「実家のすぐそばに、奈良時代の高僧・行基(ぎょうき)が開いたと伝わるお寺がある。橋やため池を築いて当時の人々の暮らしを支えた行基の姿にならい、自分も少しでも地域のためになる仕事がしたい」。大手コンサルティング会社に勤める傍ら、社会起業家としても活動する浦井祐次郎氏はこう語る。近畿大学建築学部助教の兄の亮太郎氏とともに、生まれ育った和歌山県橋本市で空間デザインやまちづくりに取り組むデザインスタジオ「Taro Jiro Architects」を立ち上げに動いている。

兄の亮太郎氏は、建築計画やまちづくりの研究者だ。これまでに再生途上のニュータウンにおいて住民自らが運営する拠点を研究してきたほか、橋本市に近い高野山を舞台に、学生らとゼミ活動「KOYASAN STUDIO」を展開している。一方、弟の祐次郎氏は、富士通でエンジニアとして経験を積んだのち、大手コンサルティング会社へ転職。兄の活動を間近で見ていく中で、自らが培ってきたIT技術や経営の知見を組み合わせ、地域に役立てたいと考えるようになった。

他のスクール生と同様に、祐次郎氏も藤野氏から多くを学んだ。「藤野さんのアドバイスで強く心に残っているのは、外から分析や提案をするだけでは地域は動かない。当事者として足元から泥臭く関わってこそ意味がある、という考え方だった」と振り返る。

直近のプロジェクトとして、実家である鍼灸治療所の2階を改修し、亮太郎氏のこれまでのまちづくり研究を地域に開く「アーカイブミュージアム」の開設を進めている。ここを地域住民と深く語り合える場にしていく計画だ。生まれ育った街での実践を地道に積み重ね、そこで得た経験や知見を、いずれ同じ課題を抱える他地域へも還元していきたいと考えている。

直面したアイデアを形にする難しさと、それを突破するための学びの力
多田晏梨氏

多田氏(左)は横田氏(右)のゼミの幹事になった
多田氏(左)は横田氏(右)のゼミの幹事になった

「障害のある人たちを助けたい、ご飯が食べられない子どもを救いたいなど、解決したい社会課題を掲げることは大切だ。それを実現するために、折れることのない強固な軸を自分でつくり、仲間たちと取り組んでいきたい。これがスクールで学んだ一番のことだ」と慶応義塾大学総合政策学部2年生の多田晏梨氏はこう語った。

多田氏は大学1年生という、スクール最若手のメンバーとして参加した。期間中、中小企業の事業承継支援など、自身の事業計画を実に7回も見直すことになったが、「だからこそ、自分が本当に何をすべきなのかがはっきり分かった」と晴れやかに振り返る。その明るい人柄と真摯な姿勢は周囲からも高く評価されており、今年4月からは横田ゼミの幹事に就任。地方の高校生らを対象としたキャリア教育事業にも精力的に関わっている。

多田氏は「同世代の起業家に会ったことがなく、スクールは刺激になった。有田焼の窯元を支援する副島さんや、大学のキャンパスで子ども食堂を運営する古川さんら皆さんの情熱に圧倒された。絶対に成し遂げたいという思いもすごかった」という。

3月の最終プレゼンテーションで、多田氏は「なぜ多くのアイデアが実現できないのか」をテーマに選んだ。スクールで自身が何度もプランを作り直す中で、アイデアを具現化することの難しさを痛感したからだ。審査員を務めた東京大学教授・慶應義塾大学特任教授の鈴木寛氏からの助言もあり、現在は大学で経営分析やマーケティングなどの基礎固めに励んでいる。また、神戸大学大学院の栗木契(けい)教授から学んだ、不確実性に向き合う起業家の思考理論「エフェクチュエーション」の講義も、現在の活動の大きな支えになっている。

多田氏は横田氏に連れられ、沖縄・久米島の高校生向けの特別講義にも参加した
多田氏は横田氏に連れられ、沖縄・久米島の高校生向けの特別講義にも参加した

こうした多田氏の成長を強く後押ししたのが、総合プロデューサーの横田氏だった。横田氏は、社会起業家向けのピッチコンテスト「NIKKEI THE PITCH SOCIAL」に出場した沖縄島嶼(とうしょ)機構の後藤裕磨氏のメンターを務めており、多田氏も現地・久米島での高校生向けキャリア養成の特別講義に同行する機会を得た。「横田先生から学んだのは、まず自分が行動して経験し、その過程で本当にやるべきことを見つけ出していくキャリア形成の重要性。これからは横田ゼミの幹事として、一つひとつの出会いを大切にしながら、さらに成長していきたい」と、多田氏は未来へ向けて力強く語った。

11人のスクール生 その後の挑戦の物語

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