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遠隔ICUから、医療を変えていく 防ぎえた死をゼロにする技術で世界に挑む

遠隔ICUから、医療を変えていく
防ぎえた死をゼロにする技術で世界に挑む

3月1日に開催された「NIKKEI THE PITCH GROWTH」の決勝大会でグランプリを獲得したのは、横浜市立大学発ベンチャーとして遠隔ICU技術を実用化したCROSS SYNC(横浜市)だった。同社を2019年に創業したのは横浜市立大学附属病院で集中治療部長を務める高木俊介代表取締役だ。医療の世界でも過酷なICUという現場で長年、数えきれない死に直面してきた経験で自らを奮い立たせ、現役医師による異例の起業でも着実に成果を出している。高木氏が取り組んでいるのは、家庭まで含めてあらゆる場所でICU並みの医療体制を構築するという壮大な挑戦である。

決勝大会の高木氏

500人を超える患者の協力で、世界でも最高レベルの遠隔ICUを実現

高木氏が3月1日にグランプリ獲得が発表された表彰式でまず強調したのは、同社を2019年に起業してから遠隔ICU技術の実用化のために協力してくれた多くの患者さんへの感謝の気持ちだった。「これまで『人々の未来のためになるならば』として500人以上の患者さんが画像データなどを提供してくれた。本当にありがたかったし、それ抜きには私たちの技術も実現しなかった」という。

同社が24年春から本格的に国内で商用化した遠隔ICUシステム「iBSEN DX(イプセン ディーエックス)」は母体となる大学附属病院などにデータを集約する集中コントロールセンターがあり、離れている病院のICUの患者らも一元的に管理できる。心拍数や血圧など数多くのデータだけでなく、天井などにカメラを設置して患者ケアをサポートする見守り合いの開発などを進めている。欧米では患者へのプライバシー配慮が非常に厳しい。その点で実現場のデータを大量に持っていることそのものが、世界的に見ても非常に強い点である。「私たちの病院では本当に数多くの患者さんが研究開発で遠隔診療のシステムをより良くするために協力してくれている」(高木氏)という。

遠隔ICU技術を現役医師として開発して起業した横浜市立大学附属病院の高木俊介氏
遠隔ICU技術を現役医師として開発して起業した横浜市立大学附属病院の高木俊介氏

「医療の現場に立ち続けることが経営者としての強み」

高木氏は日経のピッチでのプレゼンテーションでも「ICU Anywhere(あらゆる場所を集中治療室並みの医療環境に)」をテーマに事業計画と目指すべき医療の未来の姿を説明した。審査員の間でも、今年の決勝進出22社はレベルが非常に高かったのだが、最高賞のグランプリは満場一致ですぐに決定した。医師不足などで「崩壊の危機」とされる日本の医療現場を支える重要な技術として高く評価されたからだ。

高木氏は現在、週に4日は横浜市金沢区にある横浜市立大学附属病院に集中治療部長として勤務している。「医療の現場に立ち続けることが起業家としての強みになる」との信念からだ。附属病院のコントロールで横浜市立市民病院や横浜市立脳卒中神経脊椎センターなど4つのICU58床を一元管理している。他の病院のICUの医師や看護師の業務負担を軽減できるだけでなく、今年からは人工知能(AI)を活用して患者の状況に応じて、より細かく治療などのアドバイスを得られるような機能が追加される。

横浜市立大学附属病院の集中治療部では数多くの医師らが遠隔で患者の状況を把握して的確な診療に取り組んでいる
横浜市立大学附属病院の集中治療部では数多くの医師らが遠隔で患者の状況を把握して的確な診療に取り組んでいる

青森でも連携の動き、「崩壊の危機」の地方医療に光明

高木氏が取り組んでいる遠隔ICUシステムを用いたネットワークは「横浜モデル」と言われる。今年4月からは「青森モデル」も動き出す。弘前大学医学部附属病院(弘前市)が中核となり、むつ総合病院(むつ市)のICUとつなぐ。遠隔ICUだけでなく、重症の妊婦対応や脳外科手術支援など、幅広い高度な医療でも弘前大がむつ総合病院を支援する。県内の他の施設との連携もこれから進んでいく可能性がある。「遠隔ICUシステムの導入で、大学附属病院と、各地域にある病院がより密接に連携できる。地域医療のモデルケースになる」という。

高木氏らが開発した遠隔ICUシステムは現在、多くの地域で広がり、その使い方も様々だ。新潟大学医歯薬総合病院ではICU内で子供だけを対象として可動式のモニタリング装置の実証を計画している。広島大学医学部では、人工呼吸器のデータをもとに患者の重症度をAIで見極める取り組みを開始している。

和歌山県立医科大学は重症者のヘリ搬送元である新宮医療センター(新宮市)と橋本市民病院(橋本市)と連携する。新宮医療センターを訪れた高木氏は「70歳前後など高齢の医師を含めて現場で必死に医療を支えている姿は素晴らしかった。遠隔ICUシステムの導入により、業務負担を軽減できる。和歌山県立医科大学から派遣される若手の医師たちも最先端の治療に一緒に取り組める。これが地方の医療の質を高める」という。

モバイル型遠隔装置も実用化へ離島の医療も

24年6月には集中治療における遠隔医療の利用が診療報酬の保険適用となったために、導入のハードルがかなり下がった。

高木氏は自ら掲げた「ICU Anywhere」を実現するために矢継ぎ早に手を打っている。まず遠隔診断のために使い勝手がよくて割安なモバイル機器、通称「モバイルカート」の開発だ。これは近く試作機が完成する。カメラがついており、基本的なバイタルデータを調べられる装置は持ち運びが容易であり、災害現場のほか、離島を含めた地方の小さな病院にも導入でき、遠く離れた大学病院などから治療アドバイスが得られる。「最終的には家庭にも導入できる装置を作っていきたい。介護者らを見守る家族とともに遠隔診療を普及していくことが日本の医療には必要だ」(高木氏)という。

決勝大会の高木氏

研修医時代の悔いで集中治療科医を志望、米国視察で起業を決意

高木氏が大学病院の集中治療科医という過酷な仕事をしながら、起業を決断したのはなぜなのか。周囲からは「現職の医師が起業なんて無理」と何度も諭されたが、あきらめなかった。自らの研修医時代の痛恨の経験を踏まえ、「防ぎえる死をゼロにしたい」という強い思いからだ。

高木氏は進学校として知られる駒場東邦高校時代に6年間、ラグビーに明け暮れ、ケガも多かったことからスポーツ医療に興味を持ち、1996年に横浜市立大学医学部に入学した。整形外科の研修医だった26歳の時に生涯忘れられない経験をする。高齢女性が人工関節手術を受けてから1週間後、容態が急変して心筋梗塞で亡くなってしまう。患者の女性が手術後に「痛い」と言っていたが、膝の痛みだと医師らは思っていた。実際には術後に心臓の太い血管が閉塞していたことが痛みの原因だったことが分かる。また、患者は前日から手術への不安で泣いていたが、それも胸の違和感を覚えていたのかもしれない。防ぎえたかもしれない死を目の当たりにして、救急・集中治療医の道を志した。

ただ、日本の集中治療科医の置かれる環境は厳しい。現在でも全国に専門医は2500人程度しかいない。冷静な判断力と卓越した技術が求められる非常に難しい仕事だ。患者の急変時には勤務時間以外でも電話が頻繁に鳴り響いて病院に戻ることもある。大学病院のような忙しくて医師不足の職場では内科治療などと掛け持ちになる。

高木氏は2015年に世界でも遠隔医療が最も進んでいた米国フロリダ州の遠隔ICUセンターを視察して衝撃を受けた。この施設には治療装置などはなく、4つの病院に対して医師や看護師が交代でICU患者の状態をモニターで見ながら、診断や治療を支持する。業界では「バーチャルホスピタル」と呼ばれる。世界で最も有名なのが米国のミズーリ州セントルイスにあるマーシー・バーチャル・ケアセンターだ。入院設備などはなく、高性能の双方向カメラやリアルタイムのl生体信号モニタリングを活用し、他の医療施設や自宅にいる患者を遠隔で診断している。高木氏は「いつかは日本でもマーシーのようなセンターを作りたい」と語る。

5人のボランティアで起業、コロナ禍で遠隔診断技術に脚光

高木氏は視察で終わるのではなく、すぐに動き出した。翌年からはNTTデータや日立製作所などと急変予兆などのAI研究を開始する。なかなか成功はしなかったが、19年10月に創業し、最初はプログラムミングができる医学生ら5人のボランティアからスタートした。その直後に起きたのがコロナ禍だったことで、遠隔診断が注目されることになった。病院内でも防護服を着ており、患者との接触を避けていた。遠隔で症状を把握する技術が求められるようになった。

高木氏は遠隔ICUシステムの開発に没頭するとともに、多くのピッチなどに登壇して自らの事業への支援を訴えていた。事業を進めていくためには資金を集める必要があり、夜勤明けに日本政策投資銀行の起業支援担当者に遠隔ICU技術の有望性について説明し、支援を頼み込んだ。「綿密な収支など事業計画もなく、ただ熱意だけだった」。それが政投銀の担当者を動かし、半年かけて新会社の経営計画を作ってくれ、21年1月に資金調達ができた。2022年には日本医療研究開発機構(AMED)などから研究費の助成を受けることに成功した。

高木氏の理念に共鳴して人材集結、15兆円の巨大市場に挑む

高木氏が自らの人脈を生かして強力なチームを作っていった。まずは取締役を務める植村文彦氏は高校時代の同級生であり、楽天やAIベンチャーの起業などで多くの経験があった。共同代表取締役の中西彰氏は日立グループ出身。AMEDプロジェクトとして数多くの賞を受けたスマート治療室「SCOT」開発の中核メンバーの一人であり、高木氏が以前から一緒にやりたいと思っていた存在だ。

研究開発ではAI分野などで数多くの若き俊英がそろう。研究部門を取りまとめる田中正視氏はゲノム医学を研究後、DeNA、大手製薬企業を経て参画した。小松田卓也氏は東京工業大学(現東京科学大学)大学院工学研究科を首席卒業後、日立の研究所などを経て加わった。遠隔医療システムの世界大手であるオランダのフィリップスの日本法人幹部を務めていた布目誠一氏が営業部門を統括し、医療機器開発に止まらない多様な人材が豊富に集まっている。

高木氏は「まだまだやるべきことは多いし、うちの会社の誰も満足していない」と強調する。遠隔ICUシステムもAIの導入はこれからが本番で、世界のテクノロジーカンパニーとの激しい競争になる。遠隔モニタリングの世界市場は2030年までに世界で15兆円規模と23年比で3倍以上になる見通しとされ、米国のシリコンバレーのスタートアップなどが最先端のAI技術で狙う巨大な成長市場だからだ。

同社には大きなアドバンテージがある。それは世界で最も高齢化が進み、地方の崩壊で遠隔医療が最も必要とされる日本を本拠地にしていることだ。遠隔モニタリング技術を進化させ、大学附属の大病院から、離島の小さな診療所、そして要介護者のいる家庭にまで普及させることで、膨大なデータを集めることができるからだ。単なるAI技術の先進性ではなく、圧倒的な知見こそが勝負を左右する世界だ。全国各地で遠隔ICUの技術が普及しつつあり、日本発の医療システムとして世界でも勝機を見込める。経済産業省の支援を受けて、フィリピンとベトナムでの導入について実証実験にも乗り出す。

死をより安らかにすることも医療に課せられた課題 

高木氏は今、人間の死に向き合う意味を医師として、医療分野の起業家としても考えている。最近では国内のホスピス大手と連携する交渉も進めている。末期がん患者らを引き受ける終末期医療のホスピスでも、こうした遠隔モニタリングを活用できないかという申し出が出ている。遠隔モニタリングを用いて大学病院の専門的な医師や看護師に協力してもらいたいからだ。

大学附属病院では看護師を含めてスタッフが充実し、地域の在宅医療でも貢献が期待される
大学附属病院では看護師を含めてスタッフが充実し、地域の在宅医療でも貢献が期待される

高木氏も「毎日のように患者がなくなるホスピスでも私たちの技術を役立てたい」と語る。実は高木氏は「死に際」を予測する研究で特許を取得している。具体的には血圧、心拍と呼吸の乱れのデータから死亡時刻を予想するシミュレーション技術だ。高木氏らの遠隔モニタリング技術を使えば、たくさんのデータが集まり、より正確に死亡時刻を予測し、家族に看取ってもらいやすくなる可能性もある。「日本では年間160万人が亡くなる時代になっている。死に関わっている家族や友人らは年間、1000万人ぐらいになるのではないか。こうした悲しみを少しでも和らげたい」という。

高木氏は「防ぎえた死をゼロにする」ためだけでなく、避けられない死を家族とともに安らかに迎えることにも取り組んでいるといえる。高木氏が会社で掲げるミッションは「医療の今を変える。」だった。医療の今だけでなく、その未来も大きく変える可能性があるといえそうだ。

NIKKEI THE PITCH GROWTH 2024-2025
グランプリ受賞 株式会社CROSS SYNC

決勝大会登壇時の高木氏
決勝大会登壇時の高木氏