日本経済新聞社が全国の有望なスタートアップやアトツギベンチャーなどを支援する「NIKKEI THE PITCH(NTP)」では今年2月、3月の全国大会で数多くの受賞企業が決まった。NTPの受賞で事業を大幅に拡大できた事例も多い。まずは社会起業家たちが競った「NTP SOCIAL(NTPソーシャル)」の全国大会でグランプリと準グランプリを獲得した2社について「それからの物語(ストーリー)」を紹介したい。
万博のパネル討論に登壇 輝く未来へ教育のあり方を提示
「世の中は大きく変わり、大切なのは決められたことをやるとか、命じられたように動くことではなく、自分で考えて見つけて動いていく教育こそが重要だ。いのち輝く未来をつくる大阪・関西万博の会場で、こういう話ができるたことは本当にうれしい」―――。NTPソーシャルでグランプリを獲得したNIJIN(東京・江東)の星野達郎代表取締役は7月22日、大坂・関西万博の会場内のテーマウイークスタジオで開催された教育のパネル討論会でこう語った。
NIJINは国内で35万人とされる不登校生徒の受け皿となるスクール「NIJINアカデミー(ニジアカ)」を運営している。子供たちは通常の算数などの学科を国内屈指の教師陣からオンラインで学べる一方、自ら興味のあるスポーツや音楽などは専門家からリアル教室で直接、指導を受けられる。世界屈指のプロサッカーチーム、レアルマドリードのライセンスを持つカンポ東京晴海校も「リアル教室」だ。ここで最高レベルの練習をしながら、勉強もできる。ニジアカは23年9月に開校して以来、すでに入学者は500人を超えた。
星野代表取締役は万博でのパネル討論で「将棋が好きになった不登校の子供たちがサークルを作って猛練習してプロ棋士と対戦できるレベルになった。好きなことに没頭することで自信が生まれ、もっと頑張りたいと思うようになる」とも強調した。
NTP決勝プレゼンは再生回数8万回 優秀な人材採用も可能に
星野代表はグランプリ獲得について「たくさんのメリットがあった。やはり社会的に大きな信頼が得られるために、私たちの学校で働きたいという先生たちの数も質もよくなった」と指摘する。例えば、25年2月に開催された全国大会決勝でのプレゼンはYOUTUBEで8万回以上も再生された。それ以前もニジアカは熱意ある公立学校の先生から「働きたい」との応募が多かったが、グランプリ獲得後は毎月の応募数が2倍以上の100人を超えた。
星野氏の教育改革は本当に注目されている。例えば、日本青年会議所が主催する「JCI JAPAN TOYP 2025」では今年6月に、グランプリにあたる「内閣総理大臣奨励賞」を受賞した。これは「青年版国民栄誉賞」とも言われ、社会課題を解決して好循環を生む若手経営者に贈られる。教育分野からのグランプリ受賞は異例とされるが、深刻な不登校問題でも子供たちに希望を与える教育をしていることが高く評価された。
教育改革の未来 大谷翔平選手のような二刀流教師が主役
NTPソーシャルの決勝大会で審査員を務めた東京大学の鈴木寛教授は「NIJINには日本の教育改革の先頭に立ってもらいたい」とエールを送ったが、星野氏は文字通り改革のけん引役になっており、「大谷翔平選手のような二刀流こそ学校の先生に必要」としている。
ニジアカのリアル校は全国で急拡大しているが、教員免許がありながら、別の仕事でキャリアを切り開いてきた先生の採用を増やしている。ニジアカでは1クラス8人学級で、学年も地域も異なる生徒で構成され、それぞれに担任の教師がいてオンラインでホームルームなどを開く。こうした担任の教師や、実際に通学するリアル校の先生ではスポーツ、音楽、英語、料理、プログラミングなど幅広い専門スキルを持つ指導者がたくさんいる。
例えば、写真家、声優、ミュージカル俳優、アクロバット指導者などだ。教職免許を持つプロ写真家の担任はニジアカなら子供たちに写真撮影の楽しさを教えられる。プロ声優の先生は、自らをどう表現すればよいのかというコミュニケーションの指導が得意だ。アクロバットの先生は自分の教室で子供たちにバク転などを教えている。
レモン農家もリアル教室に 「教科書を教える時代は終わった」
ニジアカでは最近も、様々なバックグラウンドのある人たちが教師として名乗りを上げているが、9月にはついに農家のリアル校も初めてできる。神奈川県小田原市でレモン農家「はれやか農園」を運営する槇紗加さんは21年3月の大学卒業時に教員か農家か迷ったが、就農を選んだ。「何を栽培し、どんな商品に加工して売っていくのか。すべてを自分で決められる農業に魅力を感じた」からだった。レモンや湘南ゴールドを収穫する親子イベントや小学生たちの社会見学も好評だった。もっと深く教育に関わりたくなり、NIJNアカデミー(ニジアカ)小田原校の開催を決めた。
ニジアカ小田原校では午前中に小田原駅に近い自宅で子供たちが学科をオンラインで学び、午後は自宅キッチンでの商品づくりや果樹園で収穫などの農作業に取り組んでもらう。槇さんは「ジャムやスイーツといった商品のラベルのデザインとか、子供たちが自由な発想を生かし、本当に売っていくために考えて成長できる。農業は多くの人を『はれやかな気持ち』にできる力があり、それを子供たちに伝えたい」と笑顔で語る。
星野氏は6月初めに応募してきた槇さんに出会って、農家にはニジアカのリアル校として大きな可能性を秘めていることを痛感した。「日本の教育はもはや教科書通りに教えるという時代ではなくなった。教師たちがそ自らのキャリアでこそ学んだ素晴らしい体験を、子供たちに感動として伝えていく。それが子供たちの可能性を伸ばす」という。
求職や離職で社員が成長 キャリアブレイクこそ新たな働きの形
NTPソーシャルで準グランプリを獲得した一般社団法人キャリアブレイク研究所(神戸市)も受賞が大きな転機になっている。同研究所の北野貴大代表理事は休職や一時的な離職で自らを見つめなおす「キャリアブレイク」の重要性を提唱し、パナソニックや大阪ガスなどを顧客としている。日頃な奈良市内にあり、キャリアブレイク中のビジネスパーソンらが集まる「OKAYU HOTEL」を拠点に活動している。
レオスの藤野社長の投稿 キャリアブレイクに大きな反響
北野代表理事は「準グランプリを受賞したことで私たちの取り組みが注目された。何よりも藤野さんの投稿で反響がすごくあり、うれしかった」と語る。藤野さんとはレオスキャピタルワークスの藤野英人社長だ。NTPソーシャルの決勝大会の審査員として「私も立ち止まるという言葉の強い意味とか、社会的な役割に改めて気づかされた」と北野氏のことを高く評価した。
藤野社長は自らのSNSの「Facebook」に、キャリアブレイク研究所の取り組みについての意見を投稿した。それは2000もの「いいね」がついて、160件以上もシェアされた。この投稿で藤野社長が強調したのは、立ち止まることが「現状維持」と「変化する」との間にあり、非常にポジティブであるということだった。アマチュアピアニストとして活動している藤野社長は「(立ち止まるは)音楽における休符の役割だ。休符は無ではない。休符も音楽である」と指摘し、多くのフォロワーがこの例えについて「いいね」のコメントを書き入れた。
幸福学の権威の助言 気鋭の哲学者とも連携
この投稿を受けて、「北野さんにぜひ会いたい」と連絡してくれたのが、日本の幸福学の第一人者である武蔵野大学ウェルビーイング学部長の前野隆司教授(慶応義塾大学 名誉教授)だった。前野教授は膨大な研究データを分析して「幸せの4つの因子」を提唱し、ウェルビーイングの重要性を日本に浸透させた。北野氏へのアドバイスは「キャリアブレイクはすごく良い概念なので、社会が使える情報にしてほしい」ことだった。
北野氏は法政大学大学院の石山恒貴教授との共同研究の成果を生かし、キャリアブレイクで成長するための「10のステップ」を学術的に体系化し、これを近く発表する。「前野先生に教えていただいたように、キャリアブレイクの普及にはアカデミックに解明し、多くの大企業に納得してもらう必要があった」と指摘する。
気鋭の哲学者として活躍する慶応義塾大学の荒谷大輔教授と対談して付き合いができたことだ。荒谷教授はお金を介さず、資本主義の代替となる「贈与経済」の提唱者として注目される。北野氏のキャリアブレイクの理論も取り組み、自治体に対して新しい経済のあり方を一緒に提案していこうとしている。
能登で寺社改修のボランティア キャリアブレイクの情報発信
北野氏は社員が充実したキャリアブレイクを過ごすためのコンサルティングに力を入れている。キャリアブレイク中のビジネスパーソンらが集まって気軽に話せるコミュニティの運営もしている。奈良市内にある集いの拠点「OKAYU HOTEL」では定期的に様々なバックグラウンドのある人たちが集まって、ワイガヤの飲み会をやっている。
7月末に開かれた会ではイベント会社を辞めて能登半島でボランティアをした奥川凌さんらが集まっていた。奥川氏は「会社を辞めて自らを見つめ直し、能登では震災で壊れた寺の改修をやっていた。そこで出会った棟梁は魅力があり、自分もボランティアの大工のような仕事も選択肢だと思った。ただ、じっくり考えたい」と語った。
眼鏡商社の営業として忙しすぎる時間を過ごしていた女性は知人からの紹介で北野氏と出会い、立ち止まることの大切さを痛感し、自分がやりたかった同世代の女性を集めたおむすびづくりのワークショップをしている。
関西の雑貨メーカーと精神科病院に勤務していた女性も参加していた。雑貨メーカーを退職した女性は休職中に北野氏の著書に出会ってイベントにすぐ参加した。産業カウンセラーの資格を取得し、今後のキャリアを楽しみながら考えている。精神科病院を退職した女性も仕事のやりがいを感じ、キャリアアップの資格取得か、別のキャリアを選ぶのか立ち止まって考えているところだ。
「もはや社員をたぶらかす敵ではない」
北野氏は「少し前まで、大企業にとっては会社を休んでいいと社員をたぶらかす敵のように見られたこともあった。ただ、準グランプリという賞を頂き、企業側の見る目が違ってきている」と語る。北野氏が取り組んでいるのは日本的な雇用の新しい進化の形だ。欧州などではキャリアブレイクの良さが早くから認識されている。日本企業が若手社員の離職に頭を悩ます中で、キャリアブレイクを選択肢として活用して、本当に働きやすい会社にできるのか。人的資本経営を掲げる多くの企業にとって今後の浮沈を左右するほど重要だといえそうだ。
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