
「社員が輝けるのは北風より、太陽の会社」
休職も復職も許せる文化こそウエルビーイング経営
日本経済新聞社が主催するソーシャルビジネスの全国コンテスト「NIKKEI THE PITCH SOCIAL」において準グランプリを獲得したのは、一般社団法人キャリアブレイク研究所(神戸市)だった。同研究所の北野貴大代表理事は休職や一時的な離職で自らを見つめなおす「キャリアブレイク」の重要性を提唱してきた。「キャリアブレイクは欧州では当たり前のことであり、日本の企業社会でも『立ち止まる』という文化を作ることができれば、社員たちが生き生きと働ける」と語る。すでに大阪ガスやパナソニックなど国内の数多くの企業が北野代表理事の協力を得て、キャリアブレイクという理念の浸透に動き始めている。

審査員を務めたレオスキャピタルワークスの藤野英人社長はキャリアブレイク研究所の取り組みについて「私も立ち止まるという言葉の強い意味とか、社会的な役割に改めて気づかされた。自らが変化する前に必要なプロセスとして立ち止まることは大切で、すごくインパクトのあることをしている」と指摘した。同じく審査員の鈴木寛東京大学教授も「(北野代表理事が取り組む)キャリアブレイクとは大事なフィロソフィーであり、今の日本が大事にすべきだろう」と評価した。北野代表理事は準グランプリ受賞について「私はこれまでキャリアブレイクという世界観を話してきた。これが日本でも広がりつつあり、私たちの活動も評価されたことは本当に嬉しい」と語った。

パナソニック勉強会にも登壇 多くの大企業がキャリアブレイクに関心
キャリアブレイク研究所が準グランプリに輝いた翌日の2月25日、北野代表理事が現れたのは東京港区にあるパナソニックホールディングス(パナソニックHD)の本部機能がある東京汐留ビルだった。パナソニックHDでも法人向けサービスで中核の事業を担い、様々な組織改革に取り組んでいるのがパナソニックコネクトのキャリアデザイン部署から招かれた。長期休暇の質を高めて社員の士気やスキルを高めるための助言を求められてきたが、この日は付き合いのある全日本空輸やIHIなどの担当者も招いた勉強会で登壇を求められた。
北野代表理事は「日本の多くの大企業もキャリアブレイクの大切さについて感じ始めている。若手を含めて多くの社員が辞めてしまうのは自らのキャリアに満足できないからだ。会社を一時的に休んだり、離れたりしても、それで社員が成長して会社に戻ってくれれば、貢献してもらえる。社員を無理に縛り付けようとしても難しい」として、「日本の企業には(休職などの)制度はあっても、文化がない。大切なのは文化として醸成することであり、これが私の仕事だ」と語る。
「会社を辞めることはキャリアの空白ではない」
北野代表理事は大阪市立大学大学院で建築学を学んだ。卒業後の2012年にJR西日本グループの商業施設開発会社に入社し、具体的には大阪駅の商業施設「ルクア大阪」に配属され、マーケティングや新規事業を担当してきた。「仕事は大好きだったが、あまりにも忙しくて自らを見つめなおしたくなった」と退社を考えるようになった。当時交際していた妻のキャリア転向も影響した。総合商社でバリバリ働いていたが、あっさり退職して、自らがやりたかったITプログラマーとしてスキルを徹底して学んで活躍していた。
北野代表理事は「会社を辞めた後の無職期間はキャリアのブランク(空白)ではなく、ブレイク(小休止)であり、これを有効に活用すれば、より充実した仕事ができることが分かった」という。まず、奈良市内の改修した自宅で無職の人たちが交流できる「OKAYU HOTEL」を開いた。そこでキャリアブレイクの人たちの魅力的な生き方を知ったことで、2022年にはJR西日本グループを辞めてキャリアブレイク研究所を設立した。

キャリアブレイクは「現代版のお遍路さん」 学びを周囲と共有せよ
キャリアブレイク研究所ではまず、一般のサラリーマンらが休職や転職前の離職の時の居場所をネットで探せる個人向けサービスから始まった。ただ、北野代表理事の元には大企業からの相談も数多く舞い込んだ。大企業であっても優秀な若手らがすぐにやめてしまう。これは企業にとって深刻な課題になっており、これを解決するためにキャリアブレイクという制度を活用できないかという思いからだった。
例えば、大阪ガスでも北野代表理事が関わった。社員たちが一時的に休職して、本来の業務とは違うことができる。ある社員が社外の人たちも学べる企業内大学を作りたいというプロジェクトを支援した。インフラ会社ゆえ、街づくりなどを学べる講義は好評であり、社外の人たちも参加でき、大人気になっている。北野氏はこのプロジェクトに伴奏し、担当員の思いを専門家として受け止めて社内に発信した。北野代表理事は「キャリアブレイクを文化にするには会社を変えていく火種となる人を見つけて、盛り立てる必要がある」という。

北野氏が関わった企業の中でも「すごく面白い」とするのがオムロンだ。ここでは管理職に昇格する際に3か月の休暇を取得できる。北野代表理事は3か月休暇を取得した社員にインタビューした。ある幹部は東海道53次を黙々と歩き続けて自分を見つめなおすことができていた。多くの幹部たちは「長期休暇を取ると、周囲の迷惑になる」と心配しがちだが、オムロン良さは基本的に全員が取得できるように強く働きかけていることだ。
北野代表理事も「オムロンでは長期休暇の取得がお互い様という考えになっている。現代版のお遍路さんのように学んだことを周囲に話して共有することが大切だ。これにより、キャリアブレイクの大切さを大企業でも浸透できるはず」と指摘する。
「むしょく大学」を創設 「供養学部」では気持ちを整理

北野代表理事は当初、大企業の社員を対象にキャリアブレイクを広げようとしたわけではなかった。というより、仕事が忙しかったり、何か新しいことを漠然としたりしたくて会社を辞めた多くの人たちの自分探しを手助けすることだった。キャリアブレイク研究所設立の翌月である2022年11月からコミュニティサイト「むしょく大学」を創設した。現在は1700人の会員がいて、自分探しの受け皿として協賛する企業や自治体などは100を超えている。
むしょく大学には2つの学部がある。まずは「供養学部」で、仕事を辞めたことを受け止めて過去と今の気持ちを整理する。ここでは同じ境遇の人たちとも交流して、悩みを相談しあうことができる。もう一つが「自由研究学部」だ。キャリアブレイクを効果的に活用した経験者ら様々な講師から学び、これからの自分のあり方を考えることができる。サイト運営に協賛する企業や自治体とのコラボ授業もある。地方創生や震災のボランティアのほか、自然や農作業の体験から、インターンシップなど職業訓練まで自らのキャリアを考えるために重要な経験をすることが可能だ。
北野代表理事が協賛企業の幹部から聞いた忘れられない言葉がある。「キャリアブレイクは素晴らしい時間だ。会社で必死に働くことは、木であれば、枝葉を広げるようなものだ。自ら立ち止まって考えることができれば、それは根を張る貴重な機会になる」ということだった。

北野代表理事が重視しているのは「会社を辞めたり、休職したりすることが特別ではなく、みんなで悩みを共有できる場を増やす」ことだ。それゆえ、キャリアブレイク中の多くの人たちが集まる「無職酒場」など数多くのイベントを開催しており、これまでに5000人以上が参加している。むしょく大学でもオンラインの交流会が多いが、神戸市など各地で「オープンキャンパス」も開催している。毎月6日には「月刊無職」というタブロイド情報誌も発行している。キャリアブレイクに至った経緯や、焦る気持ちとの向き合い方のほか、良かった体験談などが記事として掲載されている。11月6日は「いい夫婦の日」ならぬ、「いい無職の日」に制定している。
「北風の会社」と「太陽の会社」
北野代表理事は自らの経験を踏まえて、日本企業の社員の働かせ方の見直しが必要だと考えている。自らが会社を辞めたのは、「会社や仕事は大好きだったけれど、忙しすぎた。少しは立ち止まって考える時間が欲しかった」からだ。大阪駅の大型商業施設「ルクア大阪」のマーケティングの仕事で疑問に思ったのは、消費者にもっと買ってもらうために割引セールなどを連発して無理にでも買ってもらうような施策が多かったことだ。それゆえ、上司に「お客さんの悩みを聞いて、その要望を満たす店を出します」と宣言して認めさせた。
北野代表理事が手掛けた多くの実験店が成功したが、その一つは「ほめるBar」だった。ルクア大阪に寄せられた多くの悩みでは「自分に自信がない」が多かったので、メーンの3階入り口の近くでお客さんの良さを徹底的に褒めるバーを開業して多くの顧客を集めて話題になった。
北野代表理事は「北風をビュービュー吹かせて相手に言うことを聞かせるのではなく、ぽかぽかの太陽で行動を促すようなことが必要だ。日本の大企業でも北風の会社が多い。太陽の会社なら、社員も気持ちよく働けるし、充実したキャリアを過ごせる」と指摘する。本当に太陽の会社であるためには、社員にキャリアブレイクを許すような懐の深さが必要だというのが北野代表理事の主張だ。
「社員を縛り付けることはできない」 ウエルビーイング経営のあるべき姿
日本の企業では「ウエルビーイング(Well-being)経営」が流行している。「人的資本経営」を推進するためにはそれぞれの社員たちが仕事で幸福感を実感して働き続ける重要とし、リスキリングの機会を提供したり、キャリア選択などをしやすいように工夫したり、様々な取り組みをしている。若手社員などでも優秀な人材の流出を食い止めることは難しい。北野代表理事は「社員を縛り付けることは難しいからこそ、復職を認める大企業も増えてきている。キャリアブレイクを制度としても文化としても根付かせることがウエルビーイング経営でも重要だ」と強調する。
日本では会社を一度辞めると、同じような待遇で転職できるケースは全体の2割程度とされ、欧州の主要国や米国の7割前後と比べて大きく見劣りする。ただ、新卒一括採用・終身雇用が大前提の日本の労働慣行が大きく様変わりしつつある。北野代表理事が自宅の一室の小さなホテルから始めた小さな活動はいま、日本を代表する数多くの大企業も注目しており、キャリアのあり方を見直す大きな潮流になりつつあるといえそうだ。
NIKKEI THE PITCH SOCIAL 2024-2025
準グランプリ受賞 一般社団法人キャリアブレイク研究所

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