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NIKKEI THE PITCH GROWTH ブロック大会詳細リポート 表彰企業の横顔(中) アトツギベンチャー編

日本経済新聞社がスタートアップなどを支援するキャンペーン「NIKKEI THE PITCH GROWTH(グロース)」では前身の「スタ★アトピッチJapan」時代から、アトツギベンチャーが異彩を放ってきた。各地のブロック大会でも革新的な経営で逆境を乗り越えるアトツギ経営者たちが高く評価された。

「変わらないため変わり続けなければならない」

閉塞を打破するアトツギの覚悟こそ再生の原点

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関門橋の真下にある和布刈神社では第32代の高瀬和信禰宜(左)が様々な経営改革で年間収入を30倍にした。神社内の石碑には海洋散骨した故人の名前が刻まれている。

弥生時代創建の名門神社、経営再建で年間収入は30倍

九州ブロック大会に出場し、「レオスキャピタルワークス賞」と「T&D保険グループ賞」をダブル獲得した福岡県北九州市の和布刈神社は「異色のアトツギベンチャー」といえる存在だ。第32代となる高瀬和信禰宜は弥生時代後期に創建された神社の経営を立て直した。年間収入は神職を継いだ2010年から30倍程度の1億4000万円に増やした。 「神社は仏教が伝来する前から日本人にとって心の拠り所だった。次の時代にも残したい」(高瀬禰宜)という。

日本書記によれば、関門海峡に面して鎮座する和布刈神社は西暦200年ごろに朝鮮半島の三韓に出征した神功皇后が立ち寄って創建した。その時に授かった潮の満干の法珠「満珠・干珠(まんじゅ・かんじゅ)」がご神宝だ。旧暦の正月夜中、厳寒の関門海峡に3人の神職が入り、和布(ワカメ)と荒布(アラメ)を刈り取って神に捧げる「和布刈神事」が創建以来、執り行われてきた。

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創建以来の和布刈神事は1月29日に執り行われた。高瀬禰宜は左側で重い松明を掲げている

中川政七商店会長に学ぶ 原点に回帰して地域に寄り添う

だが、歴史と由緒はあっても、和布刈神社の経営は火の車だった。先々代は胡蝶蘭の販売、先代で父親の第31代宮司は古物商で生計を立てた。2009年に家業に戻った高瀬禰宜は雑草だらけの神社で2年間、草むしりをしながら考え続けた。2014年に経営の安定化のために業界に先駆けて海洋散骨を始めた。日本書記にも出てくる遺体を海に戻す「舟葬」から着想を得た。2017年には年間収入が5000万円に達した。

高瀬禰宜が経営者として尊敬していたのは中川政七商店の中川淳会長だった。本人に直談判して、2018 年から経営指導を受けられるようにした。コスト管理など経営のイロハから徹底的に学び、神社の歴史と由緒を伝えられるブランディングも徹底した。お守りや御朱印などを販売する授与所や神前葬を執り行う葬儀会館なども建て直した。お守りにしても、ご神体の一部の上で鈴を振りながら渡している。何よりも大切にしているのは、地域の高齢者らの人生の終末に親身に寄り添うことだった。相続で悩めば、信頼できる弁護士も紹介する。神職としての役割を果たしてきたことで、海洋散骨でも年間800人程度にまで申し込みが増え、経営が安定した。

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和布刈神社の拝受所ではご神宝「満珠・干珠(まんじゅ・かんじゅ)」のお守りを鈴ふりしてからなお渡しする

国内で8神社の経営を支援へ 日本人の心の拠り所を残す

そして、高瀬禰宜は自らの経験を生かし経営難に直面する各地の神社の再建に動き出す。日本では約7万8000の神社があるが、この多くが少子化などに伴う収入減で消えかねないからだ。2022年に神社の経営をコンサルティングするスタートアップ、SAISIKI(北九州市)を設立して社長に就任。現在は青森県や福岡県など5つの神社を支援し、年内には8つの神社に増える。いずれも成功報酬型であり、収入増の15%を受け取る。海洋散骨など終活事業のほか、ブランディングも指導する。人材の採用や育成でもノウハウを提供する。

高瀬禰宜が常に心掛けてきたのは中川政七商店の中川会長から教えられた言葉だ。それは「経営者は覚悟を持ち、変わらないために変わり続けなければならない」ということだ。「神社は農耕民族の日本人にとって田植えや稲刈りなどがうまくゆくように頼られる場所だった。現代の人々も苦しくてつらいことが多い。そんな時に祈りを捧げられる神社を残すには多くを変えていく必要がある」という。高瀬禰宜の覚悟ある経営には多くのアトツギも学ぶべきことが多いといえそうだ。

激減する町工場を救う 技術力を売れるフリマサイトを構築

戸松社長(左)
町工場の技術力をビジネスにできるサイト「ASNARO(アスナロ)」の全国展開を目指す丸菱製作所の戸松社長(左)

「日本のものづくりを支えてきた中小の町工場はこの20年余りで半減した。後継者不足ではなく、子供たちに継がせたくないという声も多い。だからこそ、町工場が培ってきた自らの技術を商品として取引できる市場を作って自立した経営を目指せる枠組みが必要だった」。丸菱製作所(愛知県春日井市)の3代目である戸松裕登社長はこう強調する。日経ザピッチでは中部ブロックで「SMBCベンチャーキャピタル賞」を獲得した。和布刈神社の高瀬禰宜のように、業界の現状と未来に強い危機感を抱き、アトツギのベンチャーマインドで新風を吹き込もうとしている。

戸松社長が目指すのは中小の町工場の間でこれまで非常に少なかったスポット取引をメジャーにすることだった。丸菱製作所も仕事の多くは三菱電機向けのエレベーターや工作機械の部品加工だ。最大の取引先が優先なのは当然としても、工場の技能者や設備が常にフル稼働しているわけではない。「空きリソースを見える化できれば、町工場は旅行サイトでホテルを予約するようにスポットで仕事を発注したり、請け負ったりして設備の稼働を安定させられる」という。

中部地域で町工場670社が登録、全国展開へ関東でも事業開始

戸松社長が作り上げた町工場のスポット取引サービス「ASNARO(アスナロ)」は「製造業の明日になろう」という思いを込めている。2022年4月にサービスを開始し、現在は中部地域で670社が会員登録している。24年11月には取引金額が初めて月間1000万円を突破した。関東地域でもサービス開始の準備を進めている。まずは取引が成り立つ200社程度の会員登録を目指す計画だ。

アスナロの特徴は金属加工、樹脂加工、塗装、板金、鋳造などのほか、設計や計測・検査などの会社も登録でき、他業種、他業界との仕事の受発注ができることだ。フリマサイトのように、各登録企業の技術力や口コミ評判が分かる。さる会員の塗装業者が前工程の板金工場を探して新規案件を受注するようなケースも出ている。アスナロは今後、全国展開に向けて別会社として切り出して同じ志を持つ企業と一緒に運営することも検討している。

戸松社長は「少子高齢化の日本で、ものづくりの強さを維持するには町工場のリソースの有効活用が欠かせない」と強調する。日本の中小町工場の外注費は3兆~4兆円の規模とされる。「アスナロのスポット取引が、1%程度の300億円の市場が成立すれば、町工場の経営は確実に安定していくはず」という。

減少する国内の日本酒需要、米作りからの魅力発信で活路

橋場氏
1857年創業の泉橋酒造で7代目の橋場氏はマーケ戦略などを担っている

国内には約1400とされる日本酒の酒蔵も後継者不足などで廃業に追い込まれることも多い。ただ、日本酒はインバウンド需要が増え、世界でも注目されている。アトツギの創意工夫で活路を見いだせる可能性がある。日経ピッチで城南信用金庫賞を獲得した泉橋酒造(神奈川県海老名市)で7代目となる橋場春菜氏は「地元の米農家の皆さんと一緒に美味しいお酒や、日本酒の素晴らしい文化をアピールしていきたい」と語る。

創業1857年の泉橋酒造は現在、地元の7農家と、自社の田んぼで酒米を作っている。「相模酒米研究会」を立ち上げてドローンなど最新技術を活用して、より酒造りに適した酒米づくりに挑んでいる。春菜氏は大学卒業後に都内のIT企業で働いてスキルを磨いて23年7月に家業に戻り、現在は営業企画部で様々なイベントを企画している。

住みたい街・海老名で、若者や外国人にも照準

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酒蔵の敷地内でオープンするテイスティングバーではテストイベントも開催し、米軍関係者らに日本酒の文化などを説明した

目玉になるのは大きな冷蔵倉庫を改装して3月に本格オープンする売店兼テイスティングバーだ。1月からは近くにある「キャンプ座間」に駐留する米軍関係者らを招いたテストイベントを合計3回開催し、50人近くが参加して盛況だった。「酒造りは米作りから」という同社の理念を知ってもらうためだ。春菜氏の父親であり現社長の6代目蔵元、友一氏が海外での販路獲得に注力してきた結果、同社の販売で海外向けは1割を超え、実際に海外から訪問するファンも増えている。春菜氏は「日本酒もワインにおけるブドウと同じ。酒米づくりにこだわっていることが外国人の方々から評価される大きな理由になっている」と指摘する。

海老名市は「住みたい街」として人気が急上昇中だ。若いファミリー層が増えていることは大きな商機となる。これまでも酒米の田植えや稲刈りなどを体験してもらうことでファンを地道に増やしてきた。春菜氏は「酒米の農家さんも高齢化が進んでいる。大切な米作りを残すにはこれから10年が大切。若い人たちに日本酒の良さを理解してもらえるようにしたい」と強調する。

アトツギ経営者ならではの危機感を逆ばねにした斬新な発想こそ、閉塞感漂う日本を復活させる原動力になることを示しているといえそうだ。