NIKKEI THE PITCH × 特許庁
「スタートアップのための実務戦略セミナー」リポート
知財・人材・M&Aのモデルケースに学ぶ
成長シナリオとは
日本経済新聞社は11月13日、スタートアップやアトツギベンチャーを支援するプロジェクト「NIKKEI THE PITCH」の一環として実務戦略セミナーを都内で開催した。知的財産、人材の確保とモチベーション向上、そして出口戦略として注目されるM&Aについて専門家らが登壇した。すぐに役立つ具体的なアドバイスも多く、参加者からは好評だった。NIKKEI THE PITCHプロジェクトでは2026年3月の全国ピッチ大会の決勝を前に11月下旬から予選大会や大企業のCVC運営の支援など様々なイベントを予定している。
詳しくはhttps://pitch.nikkei.com/
今回のセミナーは「事業成長の武器になる!スタートアップのための実務戦略」がテーマであり、NIKKEI THE PITCHプロジェクトを支援する特許庁などと開催した。スタートアップの「CxO」や実務関係者ら数多く参加した。3人の専門家の講演を聞くだけでなく、参加したスタートアップの経営者らがお互いを知り合い、知財、人材マネジメントや資金調達などについてより深く知見を学べるようにした。モデレーターは日本経済新聞の「NIKKEI THE PITCH」の古山和弘編集長が務めた。
スタートアップ5カ年計画 知財戦略支援も重要な柱
まず、最初に登壇したのは、特許庁総務部で企画調査課スタートアップ支援班の神成勇輝氏だ。神成氏はまず、「スタートアップの企業価値は技術やアイデアに集約されている。以前と比べて知財の重要性への意識が高まっているが、まだまだ足りないところがある」と指摘した。
政府は22年11月、当時の岸田内閣が従来と比べて大幅に支援策を充実させた「スタートアップ育成5カ年計画」を閣議決定し、2027年までの5年間でスタートアップ10万社創出などを掲げた。特徴は関係省庁すべてが起業家支援に向けてあらゆる施策を総動員していることだ。その中でも特許庁が関わる知財面での支援はあまり知られていないところもあるが、実は日本のスタートアップがグローバルで飛躍するうえで非常に重要な役割を担っている。
神成氏が解説した特許庁の知財支援戦略は多岐にわたり、いずれも非常に重要なことだった。早期支援や特許申請の手数料の軽減措置に加え、スタートアップへの具体的なアクセラレーションプログラム「IPAS」などだ。
中国株専門のネット証券会社 6兆円市場への後悔
創業期のスタートアップにおける知財活用効果は競合企業の参入防止に加え、資金調達力も左右する。投資家は知財を重視しているが、スタートアップ側は他に多くの取り組むべき経営案件があり、対応が後手に回りがちで、後で悔いるケースも少なくない。神成氏も具体的に2002年に創業された中国株専門のネット証券会社の事例を取り上げた。特許取得を後回ししたことで、現在は6兆円とされる市場で多くの競合企業の参入を許したという。「当時はこの会社が先入観から特許取得は難しいと思ったことが問題だった」(神成氏)。
特許庁の支援策では知財アクセラレーション事業が大きな柱であり、これはスタートアップ向けの「IPAS」と、VC・支援者向けの「VC-IPAS」がある。例えば、経済産業省所管の独立行政法人であるINPIT(工業所有権情報・研修館)が担当すIPASは、創業期(シード・アーリー)のスタートアップを対象にビジネスや知財の専門家で構成するメンタリングチームが寄り添い、知財戦略の構築を支援する。具体的には支援期間は約5カ月だが、それが終了した後にも相談できる窓口がある。
しかも、このプログラムの採択企業は24年度から年2回に増え、1回あたり10社が支援されるようになった。これまでの支援事例をまとめた事例集や手引書もスタートアップ向け知財コミュニティポータルサイト「IP BASE」で公開している。
ノーベル賞・坂口志文・大阪大学特任教授のスタートアップも支援
このIPASが改めて注目されることになったのは今年10月、大阪大学の坂口志文特任教授がノーベル生理学・医学賞を受賞したことだった。神成氏は「スタートアップ支援で知財戦略を後押しするうえで、すごくタイムリーなことであり、喜ばしいことだった」と指摘した。
坂口志文・大阪大学特任教授の功績は免疫反応を抑えるブレーキ役となる「制御性T細胞」を発見したことであり、がんや自己免疫疾患などで病気の新たな治療法の開発に道を開いた。坂口志文・大阪大学特任教授の研究成果を基に創業されたスタートアップこそレグセル(京都市)であり、IPASが知財戦略で深く関わっていた。実際には弁理士の大門良仁氏や、ビジネスメンターとして桂淳氏を派遣して制御性T細胞の特許権を確立した。レグセルにとって、制御性T細胞は本当にノーベル賞に値するような革新的な発見との思いもあるが、それを具体的に承認してもらうのは腕利きの専門家の支援が必要であり、特許庁による支援を受けていた。
神成氏が同じく重要な取り組みとするのが、VC-IPASプログラムだ。これはスタートアップを支援するVCでの知財の専門的な理解を深めることだ。「スタートアップの知財の価値を的確に見抜くことができるし、それができなければ、スタートアップ側の技術革新へのモチベーションが下がってしまう可能性がある」からだ。VC-IPASプログラムで25年度に20のVCに加え、アクセラレーターにも知財専門家を派遣する計画だ。こうした取り組みにより、国内で知的財産専門家の働き甲斐も高まり、スタートアップエコシステムをより充実したものにできるとの狙いもある。
あらゆる知財の相談窓口も設置 駆け込み寺で迅速対応
特許の審査ではスタートアップのスピード感に対応している。審査機関の大幅な短縮に加え、一次審査までの期間を1か月以下にした「スーパー早期審査」もある。25年度からはスタートアップ向けの「意匠」でも早期審査を始めている。25年度からINPITで、スタートアップ支援に特化した知財戦略エキスパートによる「スタートアップ知財支援窓口」も開設した。ここは「駆け込み寺」のように何でも相談を、すぐに受けられる場になっている。大学発スタートアップなど産学連携関連や海外展開など具体的な項目ごとに相談が受けられる体制が整っている。
神成氏は「スタートアップは創業から間もないわけで、資金調達など他の悩みや課題が多い。それでも、知財はそれらに匹敵する重要な要素で、よりきめ細かく支援できるようにしていきたい」と強調した。
従業員の士気を高める制度の伝道師 仮想株式でポイント付与
次のセッションに登壇したのは、南青山アドバイザリーグループの仙石実代表であり、スタートアップの成長に欠かせない「人の共感と参画」を生み出す人事・報酬制度の設計で注目されている。
仙石代表は監査法人のトーマツを経て、13年に南青山アドバイザリーグループを設立した。同グループは会計税務支援やM&Aなどのコンサルティング業務で1000件以上の実績があり、国内屈指の会計事務所に育てた。注力しているのが、仮想株式(エンゲージメントストック)という新たな仕組みの伝道師として導入を促し、すでに100社を超える顧客を獲得していることだ。
仙石氏は「仮想株式はポイントのようなものであり、スタートアップなどの従業員が日々の仕事の取り組みへの評価が分かり、やる気を高められる」と指摘する。このサービスは23年から始めた。もともと、仮想株式は欧米では長い歴史があり、「ファントムストック」とも言われ、日本でも1997年から導入の動きがあった。ファーストリテイリングなど有力企業で採用されてきたが、仙石代表は人材の流動が激しいスタートアップを含めた中堅・中小企業で有効なことに目をつけて、使いやすいようなサービスを開発した。
飲み会参加も評価 離職率低下に大きな成果
仙石代表は仮想株式について「エンゲージメントストック」という商標を取り、この制度を運営するSaaS のツールを提供している。仙石代表は「私たちのサービスの顧客の9割が株式非公開の中堅・中小企業、あるいはこれからIPOを目指す企業だ。スタートアップの領域で顧客が増えている」と語った。
スタートアップではストックオプションもあるが、仮想株式は基本的に現金で対価を得ることができるため、社員の意識を高める柔軟な制度設計が可能になる。企業によってはコロナ禍が終了して飲み会などのイベントに参加してくれたとか、友人を会社に誘って入社させてくれたとか、ポイント付与のメニューを自由に設定できるわけだ。
若手の定着率を高めようとするなら、まず1ポイント=1円を100万ポイント付与する。これで勤続5年なら50%、10年なら100%もらえるようにする。「新卒採用1人で100万円、中途採用なら数百万円というコストを考えれば、こうしたポイントでの退職金制度の導入は効果的ではないか」(仙石代表)という。
SNS世代に響く「いいね」評価 精神的な報酬も重要
スタートアップに入社する若手社員らにとっても採用やリテンションに効果的だ。なぜならば、若い世代はSNS時代に育っており、仮想株式制度は「いいね」というリアルタイムな高評価を得られることになる。仙石代表は「仮想株式の導入により、社員の行動が常に承認、評価されポイントが渡されることは、金銭的な報酬だけでなく、精神的な報酬にもなる。これこそが若手に響く大事なポイントだ」という。
スタートアップの成否を分けるのはやはり、人材であることは間違いない。仙石氏が強調するのは「少子化の日本では企業が従業員を選ぶ時代から、従業員が企業を選ぶ時代に様変わりしている」ことだ。従業員の会社へのエンゲージメントこそが企業価値を左右するとだけに、仮想株式のように柔軟な仕組みが欠かせないといえそうだ。
米国のスタートアップの出口 M&Aが9割
最後に登壇したのは、ケップルの米安隼人執行役員であり、スタートアップ出口戦略について最新の事例をもとに詳しく解説した。米安氏は「IPOも、M&Aもいずれもメリットとデメリットがあり、会社ごとにベストな選択をすればよいのではないか」としながらも、「スタートアップを取り巻く環境を踏まえれば、日本ではまだ少数のM&Aがかなり増えるはず」と指摘した。
日本ではスタートアップが23年に2万2000社に達したが、24年のM&A案件は178社に過ぎない。米国ではスタートアップの9割がM&Aであり、シリコンバレーのグローバル企業などによる相次ぐ買収でAIなど幅広い分野でビジネスの拡大にもつながっている。
KDDIによるソラコム買収 スイングバイIPOとは?
M&Aのメリットはまず、買収相手が見つかれば半年程度でもクロージングが可能であり、それに伴う資金もIPOと比べれば、大幅に抑制できることだ。最近では大企業に買収されることによる大きなシナジー効果が注目される。特に「スイングバイIPO」というM&A出口だ。これはスタートアップが株式を100%売却するわけではなくて大企業が過半数を持ってそこで成長をして その後IPOで出口をもう一度目指すことだ。米安氏はスイングバイIPOについて「スタートアップにも、買収側の大企業からしても素晴らしい仕組みだ」と指摘する。
具体的な成功例をいくつか紹介したが、その中でも最も有名なのがKDDIによるソラコムの買収だ。ソラコムはIoT(モノのインターネット)のプラットフォームを開発・提供するベンチャーであり、スマートメーターなどで使われている。KDDIが17年に、約200億円でソラコムの過半数の株式を取得し、24年3月に上場した。その際の時価総額は578億円となったわけだが、KDDI傘下に入ることで、契約回線が8万から600万に増え、世界180の国・地域でサービスするグローバルベンチャーとして飛躍した。
米安氏は「スタートアップのM&AはIPOと比べると、若干ネガティブに受け取られやすい」としながらも、「スタートアップごとに最適な出口を考えるには、専門家の意見も踏まえ、M&Aも効果的な選択肢として検討すべきではないか」と指摘する。成功したメガスタートアップによるスタートアップの買収の動きも出ており、スタートアップのM&Aが年間に200件、300件に増えていく可能性があるという。
日本では高市内閣が誕生し「強い経済」を掲げており、イノベーションを担うスタートアップの重要性が改めて注目されている。スタートアップ5カ年計画も3年目を迎えて、折り返し地点を迎え、これから政府主導で継続的な支援が見込まれている。スタートアップの成否は知財であり、人材であり、資金戦略といった実務レベルでいかに的確な手を打てるかどうかだ。革新的な技術があっても、ビジネスとして成長させるにはやはり、地に足の着いた実務面での取り組みが重要になることは今回のセミナーでの講演内容を踏まえても明らかだと言えそうだ。
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