日本経済新聞社が主催する全国のスタートアップやアトツギベンチャーを支援するプロジェクト「NIKKEI THE PITCH GROWTH(グロース)」は2回目となる2026年の決勝大会が3月8日に東京・九段会館テラスで開かれる。400社を超える応募企業の中から書類審査などを経て103社が地区ごとの予選大会に出場した。決勝に進出するのは22社だけだが、ブロック大会での表彰企業も注目株が多い。地区予選の表彰企業についてまず、深刻な社会解決に挑むスタートアップを紹介したい。
「過疎の町でも障がい者の働きたいという希望の灯を消さない」
「過疎化する地方の小さな町でも障がい者たちが取り残されず、働ける社会にしたい。オンラインとリアルのハイブリッドで質の高い就労支援プログラムの提供が必要だ」。障がい者の就労移行支援事業を手掛けて、北海道・東北地区でレオス賞を獲得したRESTA(福島県須賀川市)の松川力也社長は福島県南西部の岩瀬郡天栄村にある支援施設「RESTA CAMPUS」でこう強調した。松川氏は10年前に廃業したセブンイレブンのコンビニ店を改修して25年9月に就労移行支援施設を開設した。ここは松川氏が目指す地方での障がい者就労支援のモデル拠点といえる。
中学時代に脳内出血半身不随に ハイブリッド教育こそ就職支援のカギ
RESTAは中学生時代に脳出血で半身不随となった松川氏が22年に須賀川市の実家で創業した。その後は都内で障がい者の就職支援のマッチング事業に取り組んでいたが、教育が重要だと考えて福島に戻った。地方は都心と比べて障がい者が少なく、就労支援施設の経営が成り立ちにくい。松川氏はリアルな拠点として認可取得に必要な施設で初期投資を抑えた。オンラインプログラムは大手企業で障がい者の採用責任者だったメンバーらと充実した内容にしている。松川氏は上場企業を中心に約400社と障がい者の雇用で関係を築いてきた。徹底したヒアリングを実施しており、それも生かされている。
松川氏は「障がい者の就労支援では高度なプログラミングより、基礎的なコミュニケーションや、パソコンのスキルなどの基本をきめ細かく身に着けることが大切だ」と指摘する。RESTAのオンライン授業では午前中に「マインドセット」「職業適正」や「面接練習」といった実践的な授業が実施され、午後はパソコンのソフトスキルの自習などが中心となる。
廃校の小学校も就労支援施設に 地方の事業者の買収で全国展開
日本には16歳から64歳までの障がい者は490万人程度とされている。民間企業への就職は1割強に過ぎない。障がい者の就労支援では就職後の定着率などで報酬が決まる。RESTAは現在、1日の1人当たりの利用での報酬は8790円だ。現在は2拠点で40人程度が学んでいる。「天栄村の施設の敷金などを含めた初期投資は150万円。すでに黒字化を達成できた」という。
松川氏は2030年までに20拠点まで増やす。累計就職者300人突破という目標を掲げる。質の高いオンライン教育で就職実績を高めて報酬も増やし、優秀な指導員を数多く採用していく。支援施設では廃校になった小学校の購入計画も検討している。「廃校は広くて、防火などにも対応している。1200万円程度で購入でき、3施設を同時に開設できる」という。1拠点で上限の30人の定員なら、90人が学べるようになる。
松川氏は全国各地には就労移行事業者が3000程度あり、後継者がいなくて施設の継続が難しい事業者の買収も検討している。松川氏は「地方の小さな町で障がい者の就労支援を頑張って続けてきた事業者さんたちをバックアップしたい。私たちのグループに入ってもらえば、過疎地域でも十分に支援拠点として維持できる。障がい者の働きたいという希望の灯を消したくない」と語った。
地方でも都会と同じような充実した就労支援 障がい者の教育を受ける機会を平等に
天栄村の施設には毎日、19歳のおおき君(仮名)が通ってくる。この子も松川氏のように中学生時代に脳の病気で障がい者になった。小さな町でも経験豊富な指導員から学び、他の障がい者たちとコミュニケーションもできる。この日は「映画やドラマで印象に残ったことは」というテーマで自分の考えを話す授業を受けていた。おおき君は「他の人の話も聞けて、就職の面接でも役に立つ」と笑顔で語った。
松川氏は「おおき君のような存在は私たちが目指す理想的な姿だ。地方でも都会と同じように教育を受けられ、孤立せずに社会に触れ合える場を広げていきたい」という。松川氏は福島の小さな町から、地方の障がい者就労支援という難しい解決への新たな処方箋を示そうとしている。
救急車を呼ばなくてもいい社会を実現 救える命を確実に救いたい
「高齢者は通院することも難しく、地方でより深刻な課題になっていく。救急車に頼るだけでは限界があり、民間搬送をもっと充実させ病院に届けられるインフラをしっかり整えたい」―――。北海道・東北ブロックの地区予選でSMBCVC賞を獲得したVISTA(秋田市)の戸井田涼代表取締役はこう強調する。同社は全国各地で介護タクシーなどの民間搬送事業者のネットワークづくりに取り組んでいる。
戸井田氏は2012年に秋田市消防本部に入り、22年にVISTAを起業するまで救命救急隊員として現場で働いた。多くの先輩や同僚から多くを学んだ。それでも、救えるはずの命を救えなかったことは数知れない。1回24時間勤務では救急車で20回も出動することもある。119番通報で現場に出かけても酔っ払った人のいたずらや、タクシー代わりに使おうとする人たちもたくさんいた。救命救急の世界では心肺停止の患者のケアが1分遅れれば救命率が10%下がる。不要な呼び出しで救急車の到着が5分遅れれば、生存率は半分になってしまう。
戸井田氏が安定した公務員を辞めて起業したのは「救急車の要請を減らすために国としても様々な施策を行っているが、現状は数値として表れていない。救急車の受け皿になる事業者の基盤を整えることが必要だ」からだ。海外では患者の民間搬送は巨大な産業であり、年4兆円を超える最大市場の米国ではウーバーが「ウーバーヘルス」として注力しているほどだ。
全国で100以上の民間搬送車の開業を支援 経営効率化へスマホアプリも提供
VISTAでは民間搬送事業を直営でも手掛けている。救急車のような大型車両を含めて4台を運行し、収益を確保してきた。25年から自らの救急救命士としての経験を含めて自社でのノウハウを提供し、全国各地で合計100以上の民間搬送事業の開業を支援した。フランチャイズや開業支援を行っている。顧客や受注などの管理システムと、サービス登録会員が予約できるスマホアプリも開発し、今年春にはローンチする。このシステムを導入することで、経営を効率化し、持続性のある業界にしたい考えだ。
戸井田氏が目指しているのは自治体、消防署、医療機関、介護施設と、民間の搬送事業者が密接に連携し、救える命を着実に救っていくことだ。「介護タクシーにしても、政府の目標は25年度で9万台だったが、6万台しかない。高齢者の患者の通院をサポートし、救急車を呼ばなくても救える命をきちんと救っていける社会にしたい」という。
高専の若い学生たち AIの新技術で介護士の負担を軽減
「介護士の負担を軽減するだけでなく、サービスの利用者を含めた関係するすべての人たちに喜んでもらえるようなサービスを提供していきたい」ーー。介護施設向けに介護士の事務作業を効率化するする人工知能(AI)サービス「ながらかいご」を展開するNAGARA(名古屋市)の岡田一輝代表取締役CEOはこう強調する。
同社は中部ブロック地区ではレオス・キャピタルワークス賞を獲得した。このサービスは岡田氏ら豊田工業専門高等学校情報工学科の学生たちが1年ほど前に立ち上げた。すでにトライアルとして50以上の介護施設で使われ、今年春以降に有償サービスを本格的に開始する。コアメンバーは取締役の野﨑春太郎氏や酒井優聖氏を含めて同窓の8人だ。いずれも20歳を超えた若手だが、学生時代からプログラミングの全国大会で優勝経験があり、開発のスピード力が強みだ。
外国人の流ちょうではない日本語も「会話入力」
NAGARAのサービスは「介護をしながら、負担の重い事務作業を半減できる」ことが特徴だ。最新のAIを活用し、音声入力ではなく、会話入力という技術を使い、介護士とサービス利用者の会話をスマホで録音し、介護報酬の請求で義務付けられた報告書を作成できる。サービスを受ける高齢者が「味噌汁に入っていたなめこが嫌い」というなら、こうした会話から得られた情報を記録に残して、その後の対応に役立てられる。介護の現場で増えている外国人の流ちょうではない日本語の会話入力でも高い精度を実現している。
岡田氏は「介護では20を超える事業所の形態があり、運営する法人も異なる。デイサービスから別の法人が運営する介護福祉施設に移っても、情報が共有できる体制を整え、地域での介護の質を高めたい」という。
介護の質も高めて、日本式のサービスを世界へ届けたい
NAGARAはもともと、豊田高専の8人の情報工学科の学生たちが24年12月、全国高専ディープラーニングコンテスト(DCON2025)に出場するために始めた。当初は卒業記念のプロジェクトだった。25年1月から介護現場の負担軽減ソフトウエアの開発に着手した。このソフトには大きな商機があると実感して起業を決めた。25年5月開催のDCON2025では最優秀賞に輝き、企業評価額は7億円だった。7月にNAGARAを起業して10月のシードラウンドでは6200万円を調達した。
世界で最も高齢化が進んだ日本では31万の介護事業所があり、膨らむ介護予算や介護士不足など深刻な課題を抱えている。岡田氏は「日本の介護を、そして世界の介護をより良く変えていきたい。私たちのサービスを使えば、より多くの人たちが介護士として質の高い仕事ができる。日本の事業者がこうしたサービスを強みとし、海外でも質の高い日本流の介護を届けられるようにして外貨を稼げるようにしたい」と語った。
廃れた海辺の街を再生 マリンテックこそ地方創生のモデル
「地球温暖化による海水温の上昇や黒潮の蛇行なども直撃して日本の水産業は崖っぷちに追い込まれている。真珠養殖のメッカだった私の故郷である伊勢志摩の英虞湾も廃屋だらけで、名物の伊勢海老はウツボに食べられ、鮑も餌の藻がなくなり漁獲量が激減している。こうした苦境から脱出するにはマリンテックのイノベーションが重要で、その波を起こせるように挑戦したい」。中部ブロック大会でオーディエンス賞を獲得したうみらぼ(三重県志摩市)の川野晃太社長はこう強調する。廃業した実家の真珠養殖工場を研究拠点として再建し、スマート養殖や船舶の無人運転などマリンテックのメッカにしようとしている。
川野氏は2013年に三重県の鈴鹿工業高等専門学校専攻科を修了し、自動車部品世界大手に勤めた。ソフトウエアの有力スタートアップに転じて人事部門の幹部なども務めてきた。コロナ禍の際に実家との2拠点生活をする中で、故郷の活性化に貢献したいと考えて帰郷を決めた。24年4月、実家の廃屋を建て替えて宿泊や研修などができるリトリート拠点を開設した。26年4月には近くでマリンテックの研究拠点も完成する。「英虞湾で真珠養殖が栄えたのは波が静かで、栄養素のプランクトンが豊富だったことが大きい。水産業や海洋資源の課題を解決する研究拠点としては絶好の立地であり、この強みを生かしたい」という。
真珠養殖で栄えた英虞湾 有力スタートアップでスマート養殖に挑む
うみらぼが24年から志摩市で開催する「マリンテックサミット」は、国内の有力スタートアップの起業家や研究者らが200人以上も参加する大型イベントとなった。海水を使う農作物栽培などで注目されるアグリテックのCultivera(カルティベラ)の豊永翔平社長、水上モビリティ開発のエイトノットの木村裕人社長、高性能の水中ドローン開発のFullDepthの吉賀智司社長らが集まり、今後の水産業復活について議論してきた。こうした起業家らと連携し、英虞湾での研究プロジェクトを進めていく。
まず取り組むのが次世代の養殖技術だ。地元の水産大手、伊勢志摩冷凍の石川隆将社長による牡蠣の海面養殖の実用化を後押しする。酸素濃度が高い海面に近く、海水の上にも出して太陽光を浴びさせるようにすると、うま味の強い牡蠣を育てられるという。現場での作業負担が重いことから、小型船舶の無人運転やロボットのスタートアップなどと連携し、牡蠣の棚を回転させる作業の省力化と無人化を進めていく。
川野氏は現在も国内でユニコーン候補とされるスタートアップの人事部長であり、年間100人規模のAIなどのエンジニアらを採用している。この会社の強みは国内外でオープンソース開発をしており、無人運転のソフトウエアなどに強い。こうした経験を踏まえ、マリンテックサミットも地元ではなく、他の地域で開催していく。まずは今年11月にカキ養殖が盛んな広島県呉市で開催することが決まった。地元で囲い込むのではなく、地域を超えてオープンな環境で取り組むことで大きなイノベーションが起こせるとの考えからだ。
真珠王・御木本幸吉の教え 地方を100年栄えさせるのはディープテック
川野氏は「伊勢志摩で100年以上に始まった真珠養殖はディープテックのベンチャーだった。『真珠王』と言われた御木本幸吉さんも当時、東京帝国大学教授だった箕作佳吉氏らとともに世界初となる養殖技術を発明し、事業として飛躍させた。私たちもこれから100年先を見据え、真珠の陸上養殖なども含めて新しいイノベーションを起こしたい」と強調した。こうした取り組みは海に囲まれた日本で地域創生という課題を解決するために取り組みといえそうだ。
25年3月に開かれたNIKKEI THE PITCH GROWTH(グロース)の前回決勝大会では過酷な医療の現場、急増する認知症高齢者の資産管理という深刻な社会課題の解決策を示したクロスシンク(横浜市)とトリニティ・テクノロジーがグランプリと準グランプリに輝いた。今年も3月8日に開かれる決勝大会ではこうした課題解決に取り組むスタートアップが数多く出場、注目が集まりそうだ。
決勝大会のリアル観覧・オンライン視聴は下記からお申込みください。
当日、オーディエンス賞を決める視聴者投票も行います。
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